5日目
今朝もいい天気だ。
今日は飛行機でルクソールへ向かいます。
空港に向かう途中の砂漠に立ち並ぶ送電線。
アスワンダムで作られた電力は遠く1000km以上離れた
アレキサンドリアまでも送られます。
尾翼とエンジンにホルス神の顔。
落ちるわけがありません。
40分程でルクソール空港に到着。
かつてテーベと呼ばれ、首都として栄えた街。
ナイル川東岸側のレストランで昼食後、
ナイル川西岸にある王家の谷へ。
太陽信仰の古代エジプト人にとって、太陽の沈む
ナイル川西岸の砂漠地帯はあの世を意味する
場所なのです。
東岸から車で30分。ファラオ達が眠る死の谷、王家の谷へ。
さらにトロッコに乗り換えて。
歴代のファラオは、あのとがった山をピラミッドに見立て、
ここに王墓を築いたといわれています。
ラムセスY世の墓の内部。
・・・と、おっさんにカメラを取り上げられた!?
最近、王墓内部は全面撮影禁止になったとか。
フラッシュ禁止にもかかわらず、フラッシュ撮影する輩が後を
絶たず、壁画の色褪せが深刻になってきたからだそうです。
袖の下でカメラ返してもらいました。
(もっとよこせと言われたけど、わからないふり・・・)
タウセルト王妃の墓。壁画があまりに美しかったので隠し撮り。ごめんなさい。
全く日陰ありません。王家の谷巡りは日傘が必須です。
ツタンカーメン王墓前で。
・・・いろいろ感傷に浸りたいんだけど...
現在午後2時。気温46度...暑すぎ。
カイロ、アスワン、アブ・シンベルと違って全然風が無いんです。灼熱地獄を歩き回って、もうへろへろ。
エジプト初の女王、ハトシェプスト女王の葬祭殿へ。
ここも色鮮やかなレリーフが残っている。
と、無残に削られた跡が。
これは、ハトシェプスト女王の後王位についたトトメスV世
の仕業。
彼は女性の王は邪道だとばかり、ハトシェプスト女王が
描かれている部分は全て削ってしまったのです。
でも神々が描かれた部分は美しいまま現代に残っています。
雌ライオンの顔をもったセクメト神(戦いの神)の列柱。
って言うか、ここも超暑い。
1997年に日本人が、、、って考える余裕もなかった。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。
正面から撮ると逆行になるので後ろから。
すなわち、メムノンの巨像は生命の方角、東を向いて座っています。
夕刻、メムノンの巨像へ。高さ18m。紀元前1400年頃のもの。
かつてこの地にアメンヘテプV世葬祭殿があり、その入り口だったらしい。
東岸に戻り、ホテルにチェックイン。
夕食はホテルの近くの中華レストランで。
エジプト料理攻撃に飽き飽きしていたので、
塩味の利いたチャーハンがとってもおいしかったです。
でも紹興酒がなかったのは残念。
歩きつかれたので馬車をPickUp。
ライトアップされたルクソール神殿を外から。あした中に入る予定です。
6日目
朝。今日も暑くなりそう。
カルナック神殿。アモン・ラー神信仰の中心となった場所。
壁面に命の鍵がびっしり。
4千年以上、この窓から光がさしこんでいるんだなぁ。
よく見ると、あちこちでレリーフが無残に削り取らた跡が。
これは、後から入ってきたキリスト教徒が、「イエス・キリスト以外は
神と認めない!」とばかり神々が描かれた部分を削り取ったらしい。
どんな顔してやったんだろうか・・・
ここにもラムセスU世像が。
ここにもいた!
このあたりのスフィンクスの頭は羊。
羊は五穀豊穣の象徴だそうです。
カルナック神殿から車で2,3分。ルクソール神殿へ。
ここのオベリスク、元々は左右1本ずつ建っていたけど、
右側の1本は1819年、フランスに寄贈された。
現在は
フランスのコンコルド広場にあります。
元々は、カルナック神殿と、羊の頭をしたスフィンクスの参道で
つながっていたそうです。
昼食はルクソール神殿横のマックで。2Fの窓からルクソール神殿がよく見えます。
午後フリー。でもあんまり出歩くパワーが残ってない。
ホテルに戻ることにしました。
ホテル前には相変わらず客待ちの馬車の列。
ホテルのプールでチャプチャプやった後、お昼寝。
目覚めたら夜。ライトアップされたルクソール神殿へ。
昼間とちがって、すごく涼しい。
...おかげですごい人、人、人。お祭りの縁日状態。
ルクソールを満喫して、再び空路カイロへ。
カイロのホテルにチェックインしたのは深夜0時をまわってました。
3000歳以上年上のラムセスU世と2ショット。
以前は、激しい温度差のため、石が膨張・収縮するときに像の鳴き声のような
音がでていとか。その後の修復工事の後、音は出なくなったそうです。
「ツタンカーメン」は日本的読み方。本当は、「ツゥトゥ・アンク・アモン」。
神のご加護を願って、アモン神の名を自分の名前に入れているのです。